福島県富岡町は双葉郡でも、裁判所やハローワーク、スーパーマーケット
も数軒あり、地域の中心地だった。海沿いの平地は緑豊な農地たった。
事故前は電力関係者も住み、電力供給基地は町のシンボルだった。
町を語る言葉は過去形になってしまった。事故後6年は戻れない計画だ。
道路沿いの看板に「わたしたちの 小さな命 いつまでも大切に」と
願った子供たちはこの地を離れ、それぞれの避難先で暮らしている。
富岡町の地震対策を調べてみたら、平成19年にM7.7を想定して、
事細かに記載されている。が原発の地震災害のことは、ひと言も書いてない
”原発は絶対安全”を町自体も疑いもなく信じていたんだろうか?
http://www.tomioka-town.org/data/taishin.pdf
http://hanabusatukasa.wix.com/garisan#