福島の4年
「3.11」から4年が過ぎた。福島は地震、津波そしてあの原発事故と甚大な惨事に見舞われた。
なかでも、最大の被害は原発事故だ。首都圏で消費する電気をつくるため、国策として国と東京電力は双葉郡内に福島第一原子力発電所を作った。
地元には原子力交付金と云う名で金をばら撒き「安全クリーン・エネルギー」の名のもとに、次々と10基の原発が作られた。
「絶対安全」であるはずの原発があの震災で爆発し放射能をまき散らした。原発近隣の人達は被曝を恐れ、ともかく遠くへと、身ひとつで避難をした、逃れることが出来ない動物、海も山も農地もすべてが被曝した。
現在でも10万人の人達が避難生活を続けている。とくに大熊町、双葉町、浪江町の大方は帰還困難地域とされ、除染は疎か、立ち入る自由も奪われている。
とまれ、歳月と共にこの惨事が忘れられていく、風化させてはならない。ましてや、この福島の現状を見たならば、原発再稼働など絶対にあってはならない。
猪狩 英司
福島県川内村生まれ
東京写真専門院 卒業