2019年10月3日木曜日

他のカメラにしろと言う。

富士フイルムXF-1が写らなくなったので、サービスセンターに行ったら
カメラを見るなりレンズ制御エラーですか?
6月で修理期間は終了しましたので修理は出来ません。

このカメラ、購入して間もなく〃レンズ制御エラー〃がでた、
保証期間は過ぎていたがメーカーの製造の問題だったのだろう
無料で直した、また同じ不具合だ。
ネットで調べたらXF-1のレンズ制御エラーの話題が続々と出ている。
同じ不具合が出るなら改良なり作るなりして対応すべきだと思う

仕事用ではないので別に支障はないが、メーカーとしての責任とか
プライドはないのかな。

東にカメラが欲しいという人がいたらフジはやめろと言い
西にフジを買うという人がいたら他のカメラにしろと言う。

このフレーズどっかで聞いたことあるな・・・宮沢賢治か (笑)

2019年9月29日日曜日

秋天

帰り道、信号待ちで見上げた空はドラマチックな秋の雲。
なんかいいことありそうな秋の夕暮れ。

2019年9月19日木曜日

全員無罪判決

東電旧経営責任者勝俣、武藤、武黒の3氏に原発事故での
刑事責任を問われた裁判で東京地裁は
全員無罪判決を出した。

地震調査研究推進本部が最大15mを越える津波予側を
報告したにも関わらず対処していなかった。
そしてあの福島第一原発事故が起きた。

誰も責任取らないわけですか?
町工場で汚染水が漏れて流したら社長は逮捕されますよ。

上告に望みを賭けるしかない。

2019年9月17日火曜日

「へいわフォーラム2019」


「へいわフォーラム2019」が築地本願寺で行われた。
第一部は是枝監督作品「いしぶみ」が上映された。
昭和20年8月6日広島二中の一年生321人が最後に残した言葉を
綾瀬はるかさんが淡々と朗読する。
こんな不条理な死はない、これが戦争というものなのだ。

講演では広島原爆体験者が「当時小学生だった私は原爆のキノコ雲が
夕暮れ時、真っ赤に染まる空を校庭で眺めていた。
その雲の下で14万人が亡くなった。
今でもあの光景が脳裏からはなれない」と話されていた。

2019年9月4日水曜日

中学生活を選べるなら

川内中学校に寄ってみた。
我が母校である、場所は同じだが、面影は全くない、
変わっていないのは玄関の校章だけ、
現在の校舎は3度建て直をされているらしい。
私が在学の頃は平屋の木造校舎で、団塊世代後半で6クラスあった。

現在は全校生26人と少数ではあるが、学力、スポーツ共に優秀らしい。
震災での避難し、事あるごとに被災地の子供たちとして注目され
辛い思いもしたことは想像できる。でもその経験が役に立つ時があるはずだ。

わたし的にはこの環境いいな。皆友達だし、静かな環境で・・・
もう一度巻き戻して、中学生活を選べるなら迷わずに川内中学校にする。


2019年8月13日火曜日

迎え火

本日、8月13日はお盆の入り、
迎え火を炊きました。

2019年8月9日金曜日

「焼き場に立つ少年」。

8月9日、今日は74回目の長崎原爆の日でした。

衝撃的な写真が話題になっています「焼き場に立つ少年」。
撮影したのは米国の従軍カメラマン、故ジョー・オダネルさん

写真の当時の内容が詳しく述べられています、
長文になりますが時間があったら読んで下さい。

白いマスクをかけた男達が目に入りました。
男達は、荷車に山積みにした死体を、石灰の燃える穴の中に、次々と入れていたのです。
10歳ぐらいの少年が、歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。


重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。
しかも裸足です。
少年は、焼き場のふちまで来ると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は焼き場のふちに、5分か10分、立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に、初めて気付いたのです。
男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶ける、ジューという音がしました。
それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を、赤く照らしました。
その時です。
炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年が、あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に、赤くにじんでいました。

夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま、焼き場を去っていきました。
(インタビュー・上田勢子)[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]