福島県浜通りは、復興に向けて少しずつ明るい話題が増えています。
7月15日「海の日」にいわき市四倉海岸で、「海開き」が行われました。
浜通りは遠浅の海岸が多く、幾つもの海水浴場がありました。
昨年の勿来海水浴場に続き、今年は四倉の海水浴場が海開きをしました。
久々の明るい話題に、メデアも張り切っていました。
”海開きのお約束”水着の女性がカメラマンに向けて水をかけるシーン
は濡れるのでパスして、砂浜から撮りました。
フクイチの敷地の地下水からは、高濃度の汚染水は止まらず、
海に放出されている現実もある「海の日」です。
HP http://hanabusatukasa.wix.com/garisan#
2013年7月15日月曜日
2013年6月30日日曜日
地震の予知はできない。
車の中でラジオを聞いていたら、高名な科学者が「地震予知は出来ません」と
断言していた。そう言えば地震学者が「今回の震源地はどこどこで、
マグネチュードは◯◯です、余震が来ます、充分注意して下さい」
いつも地震が来てからTVで同じセリフを言っている。
「来る前に言えよ!」 とツッコミを入れながら見ている。
なぜ地震学者は予知が出来ると云うのか、そう言わないと
研究のための予算が付かないからだそうだ。
「今まで世界中で地震の予知が出来たことはない」とも。
しかし「運命」と座して待つのは、あまりに非科学的だ。
HP http://hanabusatukasa.wix.com/garisan#
断言していた。そう言えば地震学者が「今回の震源地はどこどこで、
マグネチュードは◯◯です、余震が来ます、充分注意して下さい」
いつも地震が来てからTVで同じセリフを言っている。
「来る前に言えよ!」 とツッコミを入れながら見ている。
なぜ地震学者は予知が出来ると云うのか、そう言わないと
研究のための予算が付かないからだそうだ。
「今まで世界中で地震の予知が出来たことはない」とも。
しかし「運命」と座して待つのは、あまりに非科学的だ。
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2013年6月23日日曜日
原発は絶対安全
福島県富岡町は双葉郡でも、裁判所やハローワーク、スーパーマーケット
も数軒あり、地域の中心地だった。海沿いの平地は緑豊な農地たった。
事故前は電力関係者も住み、電力供給基地は町のシンボルだった。
町を語る言葉は過去形になってしまった。事故後6年は戻れない計画だ。
道路沿いの看板に「わたしたちの 小さな命 いつまでも大切に」と
願った子供たちはこの地を離れ、それぞれの避難先で暮らしている。
富岡町の地震対策を調べてみたら、平成19年にM7.7を想定して、
事細かに記載されている。が原発の地震災害のことは、ひと言も書いてない
”原発は絶対安全”を町自体も疑いもなく信じていたんだろうか?
http://www.tomioka-town.org/data/taishin.pdf
http://hanabusatukasa.wix.com/garisan#
も数軒あり、地域の中心地だった。海沿いの平地は緑豊な農地たった。
事故前は電力関係者も住み、電力供給基地は町のシンボルだった。
町を語る言葉は過去形になってしまった。事故後6年は戻れない計画だ。
道路沿いの看板に「わたしたちの 小さな命 いつまでも大切に」と
願った子供たちはこの地を離れ、それぞれの避難先で暮らしている。
富岡町の地震対策を調べてみたら、平成19年にM7.7を想定して、
事細かに記載されている。が原発の地震災害のことは、ひと言も書いてない
”原発は絶対安全”を町自体も疑いもなく信じていたんだろうか?
http://www.tomioka-town.org/data/taishin.pdf
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2013年6月16日日曜日
「原子力災害時集合場所」
「ひなんばしょ 原子力災害時集合場所」の看板を見かける。
皮肉にもこの「夜の森保育所」は、今でも立ち入ることさい出来ない。
東電も町も”原子力災害はありうる”と想定していたのか?
そして、原発事故の際に、この場所に集合して、どのようにして
被曝を防ぐ手立てを考えていたのか聞いてみたい。
あらためて、気になるのはあの3月12日の原発爆発時には
この「原子力災害時集合場所」に住民は避難したのだろうか。
[原子力広報・安全等対策交付金事業] と書いてある
http://hanabusatukasa.wix.com/garisan#
2013年6月9日日曜日
[3.11を忘れない写真家の会]
6月7日(金)~7月3日(水)まで福島県立図書館で[3.11を忘れない写真家の会]
「津波も、瓦礫もない写真展- 人、街、風景 -」が行われています。
私も福島県内の写真6点出品しました。福島市に行くことがありましたらお立ち寄り下さい。
福島県立図書館は県立美術館と併設して建っています。信夫山を背負って、建物、
ロケーション、素晴らしい建築です。また震災関連の資料はほとんど網羅されています。
2013年6月1日土曜日
奪われたもの。
原発事故で奪われたものは、平和だった生活、土地、職場、
救われたはずの命、挙げればきりがない。ここにも、
奪われたのものがある、浪江町の大堀相馬焼。疾走する馬の絵と
無数ヒビが入った独特の色合い、350年の歴史を持つ生活陶器だ。
浜通りの家には1つや2つは何処の家にもあった、もちろん我が家
にもあった。震災前は30軒近くの窯元があり、福島県を代表する
工芸品だった。今は人の気配はない、浪江町でも最も線量が高い
さすがに車から降りるのは怖い、車内から撮った。
350年伝い継がれた大堀の窯元の煙突から、煙が登ることは無いだろう。
救われたはずの命、挙げればきりがない。ここにも、
奪われたのものがある、浪江町の大堀相馬焼。疾走する馬の絵と
無数ヒビが入った独特の色合い、350年の歴史を持つ生活陶器だ。
浜通りの家には1つや2つは何処の家にもあった、もちろん我が家
にもあった。震災前は30軒近くの窯元があり、福島県を代表する
工芸品だった。今は人の気配はない、浪江町でも最も線量が高い
さすがに車から降りるのは怖い、車内から撮った。
350年伝い継がれた大堀の窯元の煙突から、煙が登ることは無いだろう。
2013年5月26日日曜日
常磐線富岡駅
この駅から汽車に乗って東京に来た。
この駅で降りてバスに乗って川内村に帰った。
右手に見える富岡港へもよく行った。
震災の翌日「富岡の駅が無くなったらしい」と電話で
聞いた時はショックだった。そして原発2号機の爆発以来
住民は立ち入る事が出来なくなった。今度の再編で
立ち入ることは可能になったが、もうこのホームに電車が
停車することは無いだろう。
コトン、コトンとホームに向かってくるレールの音と
ベージュの車体は、今、ホームに立つとありありと甦る。
ベージュの車体は、今、ホームに立つとありありと甦る。
思い上がった、中央の一私企業の為出かした悪事の償いはどうする。
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